個人ではタスク管理ツールを使うのやめてみた話
最近 Todoist にカンバン機能が追加されたと知った。
最近の Productivity Tool は ClickUp のような All in One が流行っている気がしていて(根拠はない) Todoist もその時流にのってきたのか...と思って使ってみようと思ったけど、そもそも最近、タスク管理ツールを使うのやめたんだよな、と思って、その経緯や意図をまとめてみた。
タスク管理ツールと私
Todoist にせよ Trello にせよなんにせよ、私にとってタスク管理ツールを使う理由は、そこにタスクを書いておけば安心して忘れていられるという点にある。
言い換えると「何をすべきか忘れている気がする...」という不安から解放されるために使っていた。
しかしタスクを忘れたくない、という気持ちからどんどん追加するので、常に 追加 > 消費 の状態となってしまう。定期的に整理をするというTODOを作って取り組んだこともあるが、整理が少しでも滞るとすぐに溜まるのでやがて嫌になってきて、最終的にすべてを忘れるためにサービスを乗り換えていく。
Evernote -> Google Keep -> Any.do -> Google タスク -> Trello -> ZenKit -> Todoist -> ClickUp
と乗り換えてきて、さすがに同じことの繰り返しすぎてアホでは...という気持ちになってきた。
タスクとアイデアを区別する
大量に積まれていくタスクを眺めて見ると、おおよそ3パターンに分類できた。
- 「新しく習慣にしたい定期的なタスク」
- 「仕事や約束といった実行しなければならないタスク」
- 「こういうのできたらいいな、という思いつきのタスク」
こうしてみると、タスクが増える一方なのは 3. の思いつきタスクのせいだ。 xxx というツールを使ってみる、とか、yyy ソースコードを読むとか、zzz の本を読むとかがこれで、たいてい、タスクを追加した時のモチベーションは失っているので、永遠に実行されない。
もはやタスクではなく、思いついたアイデアをメモしているだけである。もっといえば、実行しないアイデアというのは、それを思いついたことをどこかに残して「あ、これ前からしようと思ってたんだよ」と言うための証拠を作ることが目的のようなもので、私の自己満足でしかない。
ということで、3. のアイデア的なタスクは Twitter や Evernote を使うことで、タスク管理ツールに入力しなくて済むようになった。
定期的なタスクはいずれ、すでに完了したのに残ってしまう状態になる
残るは、
- 「新しく習慣にしたい定期的なタスク」
- 「仕事や約束といった実行しなければならないタスク」
を整理する。
まずは 1. の定期的なタスクについて考えてみると、これは習慣が身につくまで忘れずにいるために、タスク管理ツールを見れば必ず目に入る、という状況を作っておくことが目的だった。これは私にはとても有効で、毎日サーバーやアプリのモニタリングをチェックすることや、毎週個人用の週報をつけたり、毎月サーバーの費用を確認する習慣が身についた。今のところ、新しく習慣化したいものはないため、タスク管理ツールを頼る必要はない。
こうなってくると、タスク管理ツールを見るまでもなく「すでに完了した」状態になる。
ツール上では「未完了」のタスクが残ってしまい、整理を怠ると、タスクが溜まる要因の一つになる。
とはいえ、習慣を身につけるために有効であることに間違いはない。
仕事や約束といったタスクはそれを実行する環境上で管理するのが良いというポリシー
- の「仕事や約束」のタスクについて考えてみる。
また、タスク管理ツールを見れば必ず目に入るという状況を作るには、タスク管理ツールを見る習慣がある前提が必要になる。
そのためには、 2. の「仕事や約束」のタスクが全て同じタスク管理ツールに書かれているかどうか、が鍵になる。仕事上必ずそのタスク管理ツールを見る必要があれば、自然と習慣化したいタスクも目に入る。しかし、私はダブルメンテが嫌いなので、仕事のタスクとプライベートのタスクが、それぞれすでに適切な場所で記載されている場合は、それを自分のタスク管理ツールにコピーしたくない。
仕事のタスクは GitHub, esa.io, Slack で、それぞれの粒度で管理されている。GitHub でアサインされている Issue が私のタスクだし、 esa.io で進捗状況が報告されているのでそれを見て自分のタスクの優先度を調整し、Slack でたまにちょっとした作業を依頼されたりしている。それぞれのツールを使うことが業務の一部だし、それぞれのツールで自分のタスクを管理すればチームへ情報共有となり貢献となる。自分のタスクを自分だけのツールで管理することは別に悪いことではないが、そのタスクが個人に閉じてしまうことで、チームへの貢献チャンスを逃している可能性がある。
プライベートのタスクは、個人的なものはタスク管理ツールが使えるが、家族単位のタスクだと TimeTree を使っているし、書類や家計といったデータを残しておくことに価値のある場合は Evernote や SpreadSheet を使うこともある。プライベートにおいて、必ず実行が必要なタスクというのはほぼ家族が関係するものだし、それなら TimeTree でタスクにしておいた方が進捗や完了を共有するのも簡単で効率的だ。
何らかのグループが関係するタスクは、そのグループで使用しているツールや仕組みを使って管理するのが良い、というポリシーに則ると、残されるのは「個人的なタスク」のみである。
つまり、私がタスク管理ツールを活用できるのは「新しく習慣にしたい定期的なタスク」と「個人的なタスク」の 2つに絞られる。
忘れないために書き残すことで熱意を失う
「個人的なタスク」は私の場合、XX本を読むとか YYの記事を見るとか ZZリポジトリのソースコードを読む、などが多い。どれも、その時は「これは忘れずに読まねば!」と意気込んでタスク管理ツールに追加している。しかし「忘れずに読まねば」のうち「忘れずに」という問題は解決できるが「読まねば」という熱意が維持されるかどうかは本人依存となる。そして私はほとんどの場合、タスクを追加した当時の熱意を思い出すことができず、そのタスクを見なかったことになる。
見なかったことなる回数が多くなると、タスク管理ツール自体を見なかったことにする回数も増えてくる。
すると、「タスク管理ツールを見れば必ず目に入るという状況を作っておくこと」で習慣化させようとしていたタスクも、見なかったことになる。
必要なのはタスク管理ツールではないと気づいた
そもそも、私は自分が忘れっぽいからタスク管理ツールを使おうとしているが、忘れっぽいというのは気が変わりやすいということだ。
タスク管理ツールは、心変わりを止めるツールではない。
むしろ、これと決めたゴールに向けてまっすぐ取り組むための計画をサポートするためのものだ。
私に必要なものは、自分のタスクを管理するツールではなくて、何のためのタスクを管理したいのかを明確化させることだと気づいた。
て、思い切って何も使わないことにした。
使わなくなった結果
無限に増えていくタスクに飽き飽きしたり、何も終わらせられない自分に呆れたり、ツールの使い方や新機能の把握に時間を取られることがなくなり、思いのほか楽になった。 ツールに残さないことで逆に「忘れるから今やってしまおう」という気持ちになるので、なんだかんだタスクを忘れることも(ほぼ)ない。
一方で、自分が過去に追加したタスクを見るというのは、ある意味で自分との対話になっていたのだとも気づいた。
追加されたタスクから、その時に何に興味を持っていたか、何を課題に感じていたかを思い出すことができ、今と比べることで自分の変化や成長を感じることができる。
その時自分がすべきと思ったもの一覧、というのは Twitterや日報からではノイズが多くて見るのが難しいので、タスク管理ツールではなくとも何かしら形にできると面白いんじゃないかな、という気がした。